最も人間らしい人たち
- 総合「性」サービス TiME 女性障害者様専門

- 2 日前
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こんにちは。
TiMEの二ノ宮です。
先日、久しぶりに初めて伺うSMバーへ足を運びました。
そこで出会った方々に「ここに来られたということは、変態さんなんですね」と、親愛の情を込めて(?)声をかけられました。
夜職の世界に15年ほど身を置き、多くの方の「性」と「生」を見つめてきた私ですが、実はこの「変態」という言葉に対して、世間とは少し違う感覚を持っています。
1. 「変態」という言葉の本来の意味と、私の違和感
本来、言葉の意味としての「変態」は、社会的な基準や一般的な性的傾向から「逸脱」している状態を指す俗語です。
しかし、多くの方の深層心理に触れてきた私は、こう思うのです。
「そもそも、基準となる『普通の人』なんて、この世に一人も存在しないのではないか?」と。
世間が勝手に作り上げた「平均値」という虚像。
そこから一歩もはみ出さずに生きている人間などいません。
誰もが、人には言えないこだわりや、自分だけの深淵を持っています。
2. 逸脱こそが、人間としての「標準」
もし「自分らしく生きる(=世間の枠からはみ出す)」ことが人間として最も自然な営みであるならば、「逸脱している状態」こそが、人間としての標準です。
私が「本当の変態(異常者)」にこれまで出会ったことがないと感じるのは、そのためです。
私が出会ってきた「自称・変態」の方々は、単に「逸脱している人」ではなく、以下のような方々でした。
自分自身を深く理解している: 自分が何を求め、何に心が動くのかを逃げずに見つめている。
心地よさを追求する研究者: どうすれば自分や相手が満たされるのかを、真剣に試行錯誤している。
生に対して誠実: 社会の「普通」に擬態することより、一人の人間として「生きる喜び」を全うすることを選んでいる。
これは「異常」ではなく、自分という人間を突き詰めた結果の「完成形」に近い姿だと、私は敬意を抱いています。
3. その「宝物」を、冷たい雨の中に晒さないで
自分の特性を「人間らしい素晴らしいことだ」と肯定することと、それを「誰に対してもオープンにすること」は全く別の話です。
残念ながら、今の社会にはまだ、自分と違う価値観を否定することでしか安心を得られない人が大勢います。
打ち明ける相手は、あなたが選んでいい: あなたの深い探求を、土足で踏みにじるような人にまで見せる必要はありません。
「内なる誇り」として育てる: 誰に理解されなくても「自分は自分をよく知っている」という事実は、あなたの中に揺るがない自信として持っていればいいのです。
安全な土壌を選ぶ: 大切な種(個性)は、それが正しく扱われる場所でだけ、芽吹かせればいい。
4. 私はまだ、「変態」にはなれていない
SMバーで「変態さんですね」と言われた時、私は心の中でこう思いました。
「いえ、私はまだその域(変態)には達していません」と。
自分をさらけ出し、自分の快楽に責任を持ち、究極の自己探求を続けている方々に比べれば、私はまだまだ修行の身です。自分を100%理解し、表現し切ることは、それほどまでに尊く、難しい「道」なのです。
最後に
「変態」という言葉は、本来、蔑称(べっしょう)ではなく、「自分という人間を極めようとする者」への称号であってもいい。私はそう本気で思っています。
あなたがあなたであることを誇りつつ、その大切な「自己探求」を、安心できる場所でゆっくりと育てていってください。
TiMEは、そんな「純粋に人間を全うしようとするあなた」が、ありのままの姿で羽根を休められる場所でありたいと考えています。




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