偏見と同情を超えて

いつもありがとうございます。
こんにちは。
二ノ宮です。
先日寄せられた、「障がいを持った人を好きになる理由がない」「なぜわざわざそんな店をやっているのか理解できない」というご意見について、前回はその運営目的をお話ししました。
今回はさらに一歩踏み込んで、「なぜ私たちがこの事業を通し、こうしたテーマに真摯に向き合い続けているのか」という思想の背景について、少し深くお話しさせてください。
「好み」と「選択肢の存在」は全く別の話
まず前提として、「どういう人を好きになるか」「どんなパートナーを選ぶか」は100%個人の自由です。
健康的な人がいい、自分と共通の趣味がある人がいい、といった価値基準を誰も否定することはできません。
しかし、ここで私たちが問題視しているのは、「個人の好みの問題」と「その人が人生の選択肢や機会を持てるかどうか」が混同されてしまうことです。
社会の中には、「障がいがあるから」「特別な状況にいるから」という理由だけで、最初から恋愛やパートナーシップ、自身の性や生き方に関する「選択肢」すら与えられない、あるいは諦めざるを得ない構造が存在します。
「好きになる理由がない」と切って捨てるのは簡単です。
ですが、選択肢そのものを社会から奪ってしまうことは、一人の人間としての尊厳や自立の機会を奪うことに他なりません。
「同情」や「特別視」という罠
私たちがよく直面するのが、「かわいそうな人たちを助けてあげているんですね」という善意の同情です。
しかし、私たちは「同情」でこのサービスを行っているわけでは一切ありません。
同情や優しさだけで接することは、一見温かく見えて、実は相手を「守られるべき弱い存在」として固定化してしまう危険性を含んでいます。
それは対等な関係ではなく、上下関係を生み出してしまうからです。
「TiME」が追求しているのは、同情や特別視ではなく、「どこまでも対等な一人の人間としての関係性」です。
障がいの有無にかかわらず、人は誰しも自分自身の意思で考え、納得のいく選択をし、その結果に対して自ら責任を持つ権利があります。
私たちはその「自立した個」として立つための機会やきっかけを提供しているに過ぎません。
なぜ「不信感」を持たれるのか
「なぜわざわざこんなことをしているのか理解できない」「不信感しかない」と感じられる背景には、世間一般において「障がい」や「性」といったテーマが、長らくタブー視されたり、特定の偏見の目で語られてきた歴史があるからだと考えています。
触れてはいけないもの、見ないふりをするべきものとして扱われてきたからこそ、そこにオープンかつビジネスとして誠実に境界線を引いて向き合う姿勢が、一部の人には異質に見えてしまうのかもしれません。
ですが、誰も言わないこと、誰も踏み込まない領域だからこそ、誰かが逃げずに本質的な場を創らなければ、世の中の選択肢は永遠に増えません。
私たちが届けているのは、単なるサービスや慰めではありません。
「自分にはこんな選択肢もあるんだ」
「自分の人生を、自分の意思で決めていいんだ」
そう気づき、自立した個として歩み出すための「強いきっかけ」です。
誰かに理解されるためではなく、自分らしく生きようとする一人ひとりが、自分の軸で選択肢を選び取れる社会のために。
「TiME」はこれからも、対等な「合意と責任」の美学を持ちながら、ブレずにこの場所を守り、発信を続けてまいります。
季節の変わり目ですので、皆様どうぞご自愛ください。
今後ともよろしくお願いいたします。





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