「分かり合えない」からこそ
- 総合「性」サービス TiME 女性障害者様専門

- 7月8日
- 読了時間: 3分

こんにちは。
TiMEの二ノ宮です。
ありがたいことに、日々の活動の中で多くの方と関わらせていただき、感謝されることもたくさんあります。
ですが、その逆もまた然りです。
いただくご意見の中には、否定的なものや批判もあります。
でも、それは当然のことだと思います。
人それぞれ価値観が違うのだから、意見が食い違うのも当たり前。
だから私自身、そうした批判をされても全然気にしてはいません。
ただ、そんな風に「人はそれぞれ違う」という当たり前の状態を目の当たりにするたび、ふと不思議に思うのです。
他人と分かり合うこと、そして自分を分かってもらおうとすることは、本来とても労力がいることです。
お互いの歩み寄りや、優しさがどうしても必要になります。
それなのに、どうして人はあえてエネルギーを使って、他人に攻撃的になったり、誰かを傷つけようとしたりしてしまうのだろう、と。
人は、1人では生きていけません。
誰もが誰かと支え合い、社会の中で共存していかなければならない存在です。
それなのに、なぜ私たちはこれほどまでに「分かり合えない」ことが多いのでしょうか。
身近な人間関係から、社会の大きな出来事に至るまで、私たちは日々、小さなすれ違いや摩擦、そして争いを目にします。
孤独から逃れるために誰かを求めるのに、近づけば近づくほど、お互いの違いに傷つき、拒絶してしまう。
そんな矛盾に、どこか虚しさを感じてしまうこともあるかもしれません。
けれど、少し視点を変えてみると、ある一つの事実に気がつきます。
それは、「私たちは本来、1人ひとり全く違う人間である」ということです。
育ってきた環境も、傷ついてきた過去も、大切にしている価値観も、誰一人として同じではありません。
だからこそ、「100%分かり合える」ということ自体が、本来は奇跡のようなことなのです。
争いが絶えないのは、私たちが「分かり合えない」からではありません。
「分かり合えるはずだ」という期待や、「自分の正しさを分からせたい」という執着が、お互いを苦しめ、時に攻撃性へと変わってしまうからではないでしょうか。
共存していくために本当に必要なのは、「完全に分かり合うこと」ではなく、「分かり合えないかもしれないけれど、目の前の相手を尊重しようとする姿勢」なのだと思います。
「あなたのことはすべて分からない。けれど、あなたの痛みを想像することはできる」
「意見は違うけれど、あなたが大切にしているものは否定しない」
そうやって、お会いする時間の中で、お互いの「違い」をそのまま受け入れ、認め合うこと。
それこそが、衝突を減らし、本当の意味で寄り添うための第一歩になると信じています。
TiMEは、単に寂しさを埋める場所ではありません。
お互いの孤独や、分かり合えなさを抱えたままでいい。
その上で、ほんのひとときでも「心を通わせよう」と試みる、そんな温かい境界線でありたいと思っています。
今日も、誰かと誰かがほんの少しだけ、優しい距離感で繋がれますように。




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