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「多様性」という言葉の裏にある、本当の優しさとは

こんにちは。

TiMEの二ノ宮です。


ここ数年、ニュースやSNSで「多様性(ダイバーシティ)」や「ジェンダーレス」という言葉を本当によく耳にするようになりました。

それに伴って、一部では「世の中を男と女に分けること自体が間違っている」と主張する声も上がっているようです。


皆さんは、こうした風潮に少しモヤモヤしたり、「どういうことだろう?」と違和感を覚えたりしたことはありませんか?


もしかしたら私の受け取り方が間違っているのかもしれませんが、世間には「男と女の二通りにしか分けて考えない人」を強く批判したり、嫌がったりする空気が一定数あるように感じます。

ですが、ぶっちゃけて言えば、生物学上の事実として、人間を含めた多くの生き物は身体の構造上「男と女(雄と雌)」に分かれています。


子孫を残すための役割として、この2つの構造があることは、動かしようのない科学的な事実です。

ですから、まずは身体の構造として「男と女」に分けられると考えるのは、決して不自然なことではありません。


ただ、人間の「中身(心や考え方)」となると、話は別です。

いわゆる「性同一性障害(トランスジェンダー)」と呼ばれるように、身体的な構造と、本人の心の自認が違うということは確実に存在します。

私は、これについては何の問題も、否定する理由もないと思っています。

身体は男性であっても心が女性であること、あるいはその逆であること。

それはその人の「個人のあり方」であり、何より自分自身を深く分かっているということは、とても素敵なことだと思うからです。

「男扱いされるのが辛い」「女扱いされるのが違う」という当事者の方々の生きづらさに寄り添う意味でなら、「男と女に分けるのが間違っている(もっとグラデーションを見てほしい)」という主張も十分に理解できます。


しかし、最近のニュースを見ていると、どうもそれとは違う方向へ話が進んでいるような気がして、意味が分からないなと思うことが多くあります。

当事者の方々の尊厳を守る話のはずが、いつの間にか極端な一部の意見だけが大きく取り上げられ、「男女という区別そのものが悪だ」「ルールをすべて変えろ」と、周囲に押し付けるような争いに発展してしまっているからです。


実はこれ、障害を取り巻く環境ともよく似ている気がします。

当事者の方は「こういうサポートがあると助かる」と現実的な話をされているのに、一部のメディアや声の大きい人たちが「100%完璧に配慮しない社会は悪だ!」と過激に問題を大きくしてしまう。

その結果、大多数の人が「極端すぎてついていけない」と引いてしまい、本来届くべきはずの「寄り添い」や「優しさ」から遠ざかってしまうという、とても皮肉なことが起きています。


問題提起されている内容が、必ずしも全員に当てはまるわけではありません。

一部の、さらに一部の過激な意見だけが社会の総意のように見えてしまっているだけで、少なくとも私の周りでは、誰もそんな風に目の前の人を否定したり、問題視したりしていません。


世間がどれだけ極端な言葉で騒ごうとも、大切なのは社会のルールをひっくり返すことではなく、目の前の「一人の人間」を普通に尊重し合うことです。


「体は男(女)だけど、心はこうなんだね」

「不便なところがあるから、ここを少し手伝うね」


お互いに無理をして100%分かり合おうとしなくてもいい。

ただ、それぞれの違いをそのままに、「あなたはあなた、私は私」と優しい距離感で認め合えること。

それこそが、本来の「多様性」であり、争いのない穏やかな共存に繋がるのではないかと思っています。

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